院長ってどんな人?③
~ストーリーで読み解く院長の人間性~
- 1.はじめに
- 2.理学療法士 なるまでストーリー 学生編
- 3.理学療法士 なるまでストーリー 社会人to学生 編
- 4.理学療法士 なってからストーリー 臨床現場デビュー編
- 5.理学療法士 なってからストーリー 帰京~開業決意編
- 6.理学療法士 なってからストーリー 開業準備~開業~そして現在編
- 7.おわりに
3.理学療法士なるまでストーリー 社会人 to 養成校編
愛知県名古屋市にて一人暮らしを始め、営業として5年間働いていました。
営業もとてもやりがいと感じてはいましたがいつしか、
「いつか商品を介して利益を上げて会社から評価されるという仕事ではなくて、何か『血が通っている』と感じられる仕事がしたい」
「直接お客様に対して自分自身の知識技術だけじゃなく、自分という人間性を通して貢献して、直接『ありがとう』と感謝されるような仕事がしたい」
とぼんやりと考え始めていました。
ちなみに「新入社員で一番飲んでいたから」という理由で名古屋営業所に配属になったわたくし。
遠い記憶で覚えているお酒での大失敗は以下の3つでしょうか・・・。
- 地下鉄路線の終点から反対方向の終点までシートで爆睡したまま2往復
- 朝気が付いたらコインパーキングの車と車の間で起床。カラスに起こされる
- 実家に帰省した時に1フロア下の家のドアを鍵でガチャガチャ。ピンポン連打
全て若気の至りでございまして。間違えた家には翌日菓子折り持ってお詫びにいきました。
現在は休み前日に缶ビール1本飲むぐらいで、めっきり失敗はしておりません。念のためm(__)m
そんなこんなでそれでも営業の仕事は楽しく、日々一生懸命働いていたある日のことでした。
年末に近い12月の中頃から、親族の不幸が立て続けに起こり、さらにその数日後に親しかった年配の方が僕の目の前で倒れてしまいました。
脳梗塞でした。自分の目の前で倒れたその方の親族が救急車を呼び、そのまま救急病院へ車で向かい、病院の待合に座ったとたんに自分の両足が大きく震えだしたのを未だに覚えています。
「『足が震える』って例えとしての言葉じゃないんだ・・・」と。
そんなことが短い間に起こり、自分自身の価値観も大きく揺さぶられることになり、自分を見つめなおす時間が大幅に増えていきました。
そんなある日、倒れられた方のお見舞いに行き、リハビリを見学させてもらいました。
そこにいたのはその方といっしょにリハビリをしている理学療法士の先生でした。
それを見た時でした。
自分の視野がいっきにクリアになったような、その方と理学療法士の先生の二人以外の背景が飛んだような、その二人の体の輪郭だけ濃くくっきり見えたような。
うまく言葉には言い表せない、でも自分が欲している何かがそれだと確信したような、そんな衝撃が身体に走ったことをいまでも鮮明に覚えています。
それから何度もリハビリの見学を重ねました。
まさしくこれが、僕がそれまで言語化できなかった「具体的に仕事として一生かけてやっていきたい職業」、すなわち『理学療法士』でした。
自らの知識技術だけではなく、その人間性も踏まえて患者さんに直接接して、身体機能、動作、活動、生活、そして患者様の人生を取り戻すことのサポートをする・・・。
僕はその理学療法士という職業に、
「ついに見つけた!きっと天職なはずだ。社会人になってようやく出会えた!」
と感じていました。
そこからはもう決意は固まっていました。
学校を探し、受験対策を重ね、翌年春に名古屋市内の理学療法士養成校に社会人推薦枠で合格することができました。
そして5年務めた会社を退職し、27歳からもう一度「理学療法士養成校」の学生として学びの場に戻ることになりました。
27歳からの学生生活はとても有意義なものでした。
ほぼ同級生は18歳。
自分より9つ下の同級生といっしょに勉強に励みました。
クラスに社会人経験者が少なく僕が大幅に年上だったこともあってか、クラスメイトからは「兄さん」「兄やん」と親しく読んでもらっていました。
その後辛く厳しい実習をクリアし(思い出したくありません・・・)、国家試験前からはクラスメイト全員から励まされ、勉強を教えてもらいながらなんとか国家試験を合格することができ、晴れて「理学療法士」となることができたのでした。
と、ここまでが僕の「理学療法士になるまでストーリー」でした。
なんとまぁ長文ですよね(笑)
僕も書いてみてびっくりしました。
バスケットボールに熱中していた学生時代、そしてサラリーマンを経て理学療法士となっていくところまでお伝えしました。
ここでようやく僕のストーリーの折り返し地点です(笑)
「まだあるんかい!!」と思われた方、
「もう読むの飽きたわ!!」と思われた方もいると思います。
可能であればまだお付き合いください。
きっと僕がどんな性格で、どんなことを大事にして、どんな思いをしてきたから、最終的に整体院を開業したのか。
最後まで読んで頂ければきっと分かると思います。
せっかく折り返し地点まできました。
もうしばらくのお付き合いを宜しくお願い致します。
この記事を書いた人
廣川 徹
昭和49年生まれ。板橋区の腰痛専門整体院 T's整体院の院長。理学療法士として17年間、整形外科リハビリクリニックや外来患者様中心の病院、慢性期専門病院、有料型老人ホーム等で働き約10万件以上の施術経験をし、多くの患者様の痛みの改善、生活の質の向上に貢献。