院長ってどんな人?④
~ストーリーで読み解く院長の人生と人間性~
- 1.はじめに
- 2.理学療法士 なるまでストーリー 学生編
- 3.理学療法士 なるまでストーリー 社会人to学生 編
- 4.理学療法士 なってからストーリー 臨床現場デビュー編
- 5.理学療法士 なってからストーリー 帰京~開業決意編
- 6.理学療法士 なってからストーリー 開業準備~開業~そして現在編
- 7.おわりに
4.理学療法士 なってからストーリー 臨床現場デビュー編
晴れて理学療法士となった僕は臨床の現場で働き始めます。
そこで自分の人生を大きく好転させる出会いがありました。それは就職した先の上司でした(以下:師匠とさせていただきます)。
ここで少し学生時代の話に戻ります。
僕は学生時代から体育会系で来たということもあり、勉強がそんなに得意ではなく、専門学校時代も人体の基礎を学ぶ授業内容も難しく、苦手意識が先行し「勉強が面白い」とは思えませんでした。
その中でも唯一この授業面白い!知っていくことが楽しいと思えた授業がありました。
その講師の説明が上手で、難しいことを分かりやすく、かつ面白く、深く。という感じで。
正直初めて「勉強が楽しい」と思えた授業でした。
なんとその授業の講師が、奇跡的に僕が初めて病院で務めたリハビリ室の主任だったのです。
いっしょに働いてみると、その師匠の知識技術はもちろんのこと、なんといってもバイタリティーの凄いこと!
昼間は病院で患者さんの治療を行い、僕ら新人に治療や運動学、解剖学の基礎を指導し、なんと夜からは理学療法士養成校の夜間部の授業を受け持っている(一番多い時期で週に3日間)というタフネスさ!
僕はこの師匠に必死についていきました。
人体についての最も基本である三本柱の「運動学」「解剖学」「生理学」も師匠から楽しく深く学び、師匠が学校の講師で授業を行っている時はアシスタントとして参加できる授業はほとんど参加していきました。
その授業では師匠が座学、手技の講義をした後、僕たち各アシスタントが10数人づつ細かく指導説明していくというスタンスで、僕たちアシスタントもとても有意義で貴重な時間でした。
またその師匠のバイタリティーの高さ、教え方の上手さから名古屋市内の各養成校から実習生の申し出がひっきりなしにありました。
※実習:国家資格養成校では最終学年に臨床現場にて実際に3~7週間、先輩の資格者指導の元、その名の通り実際の臨床現場を見学すること。 理学療法士が病院や施設でどのような役割を担い、どのような働きを求められるのかを見学から学ぶ
担当指導者も実習中の自分もこんな笑顔で入れた記憶は全くありません・・・。
僕が師匠から「学ぶことの楽しさ」「知っていくことの面白さ」を学んだように、実習生たちにも難しい人体のこと、理学療法のことを分かりやすく、面白く、深く教えようと思い、試行錯誤を繰り返しながら向き合ってきました。
実は僕も実習では苦労してきました。臨床現場での先輩方のプロフェッショナルな姿勢、知識技術への探求心、「患者様を診させて頂く」という事についての真摯な取り組み方。
学生時代の僕にとっては
「学生と現場で働く国家資格者との明確な知識や意識の違い」をまざまざと突き付けられ、自分がなろうとしている職業への覚悟はどの程度のものなのか、何度も向き合う事となったのを、今でも覚えています。
中高大学とそんなに勉強が好きではなく、社会人を経て再度学生になり、辛く厳しい実習を乗り越えてきた経験と、現在師匠の下で楽しく深く人の体について、理学療法について学べていること。
そんな自分にしかできない、自分にしか伝えられないこと、学生への指導があるはずだと思い師匠の指導の元、真摯に学生達に向き合ってきました。
そんな指導をしていく中で自身でたどり着いた答え、そして学生達ほぼ全員に当てはまったことは
「こちらが丁寧に分かりやすく伝える努力を怠らなければ、まずは人体、理学療法への興味が増し、次に理解が、そして学習意欲に繋がり、しいては学習の結果まで確実に向上し、人間的にも成長していく」
ということでした。
この病院に在籍した8年間で多くの実習生、養成校の学生に携わる機会を頂き、学生たちにいろいろ教えてきましたが、今振り返ってみるとその機会の中で僕自身が多くの大事なことを学び、経験できたと思っています。
師匠からの教えてもらうこと、自分で医学書や文献から学び、学生達に向き合い悩み、また師匠に相談し解釈することの
「インプット」
日々の業務での治療はもちろん、師匠の講義のアシスタントとして毎回10数人の学生へ説明指導、毎年4~5名、3~7週間づつ学生を指導することでの
「アウトプット」
これらを行い続けることにより、知識の理解、技術の習得が自ら中で高速でアップデートしていくという感覚あったことを今でも覚えています。
この時期に自身の核となる部分が形成され、多くの学びと経験、成長ができたと感じています。
そんな僕にもまたもや転機が。
サラリーマン時代から計17年愛知にいましたが、その間もその前からも、常に親には心配ばかりかけていました。
すでに中学時代から優秀だった兄や妹と違い、高校大学と勉強はそこそこで好きなバスケットボールには夢中になり、会社に入ってはいきなり愛知県勤務。
5年後突然「おれ理学療法士になるわ」と退職。
そして2度目の学生時代を経て臨床現場で8年。
気が付けば両親とも70代となっていました。
そんな迷惑かけた両親を最後は近くで見てあげたい(ほんの少しだけ「20代のバカな学生の頃とは違う自分を見て欲しい」という気持ちもありました)。
そんな思いもあり、お世話になった師匠の元を離れ東京に17年ぶりに帰ることを決意したのでした。
追伸:
僕が東京に帰ってきてから数年。あるきっかけで脚本家、「井上ひさし」さんのある言葉を知ることがありました。
それを知った時には本当に衝撃でした。それは勉強が苦手で専門学校時代に苦労に苦労を重ねてなんとか卒業できた僕が、師匠の元で働きだしたらどんどん勉強が面白くなり、引き込まれ、楽しむように知識が身について行った理由がそこにありました。
僕の師匠がこの言葉を知っていたのかどうかは分かりません。間違いなくこの言葉のように、僕だけではなく他スタッフ、実習生、学生に接してくれていました。
そして僕も師匠から学ぶうちにこの井上ひさしさんの言葉のように学生たちに接することができたと思っています。
この言葉はいまでも僕の座右の銘であり、現在もお客様にお体のついての話をする時だけではなく、どんな話をする時にでも必ず意識している言葉です。
今回の記事はこの井上ひさしさんのお言葉で締めてみたいと思います。
もし会社で若い人たちを指導する立場にいる方、学生に接する機会がある方。
ぜひこの言葉を意識しながら伝えてみてはいかがでしょうか。
もしかたらその伝え方、接し方にこの意識を持ってみるだけで、相手への伝わり方が変わるかもしれません。
そしてその伝わり方で物事の本質に気が付き面白さを知り、さらに相手が「知ることが、学ぶことが楽しい」と思えたならば、もしかしたらそのことがいつかその人の人生を変えることになるかも知れません。
その時に学んだことに支えられ、背中を押されて、今ここにいる、僕のように。
「難しいことを優しく、
優しいことを深く、
深いことを面白く、
面白いことを真面目に、
真面目なことを愉快に、
愉快なことはあくまでも愉快に」
脚本家 井上ひさし
この記事を書いた人
廣川 徹
昭和49年生まれ。板橋区の腰痛専門整体院 T's整体院の院長。理学療法士として17年間、整形外科リハビリクリニックや外来患者様中心の病院、慢性期専門病院、有料型老人ホーム等で働き約10万件以上の施術経験をし、多くの患者様の痛みの改善、生活の質の向上に貢献。